2006年05月14日

菅平に行ってきました

 11日木曜日の夜、9時前には寝ました。笑顔  12日金曜日、午前3時少し前に起きて、友だちの家に4時頃に着き、彼とともに、菅平に向かって走りました。

             20代の前半、僕と彼は 何度も菅平でスキー居候をしていました。img20060514.jpg

 でも、当時は、中央道の諏訪か岡谷からは一般道でしたから、8時間も9時間もかかって 行ってたんです。

 それが・・・長野オリンピックのおかげですね・・・高速道が完備されて・・・ご飯を食べたり、SAごとに売店でウロウロしたりして行ったのに(笑) 6時間もかからずに行けました。

 走りながら、夜が明けていく様は とてもきれいな景色でした。  青空、山桜、アルプスの頂には雪景色・・・いろんな季節の景色が混在していました。

 菅平で、おばさんのお骨を前にお参りし、 おじさん、おねえちゃん、その旦那さんと夕方までいろんな話に花を咲かせました。

 先日の おばさんとおじさんのダンスが放映されたことについて、おねえちゃんから 真相話を聞きました。
 あの番組は、『おばさんは、おじさんと最後のダンスができなかったことが心残りで、最期に病院でおじさんとダンスを踊れた』 という夫婦愛にまとめられていました。
 
 撮影から放映までの間におばさんが亡くなってしまったから、余計そうなったんだろう・・・とは思っていました。 撮影時点では、『ガンに負けずに頑張ってる夫婦』であったはずだったんです。

 でも、なんのなんの・・・確かに、それも事実なんだけど、それどころか、おばさんは、はじめはテレビに出るってことを嫌がっていたらしいんだけど、最後の方は 人間ばなれしていたらしい・・・

 テレビクルーに 自分の人工膀胱を見せ、「膀胱ガンで こんなことになってしまったけど、それでも私はダンスを踊る。 ガンなんかに負けちゃダメだ、ガンの人はみんな見ておくれ、みんな がんばれ♪」 って。
 病院に 入院してる患者や通院してる患者にも ダンスを是非見てほしい って、自分をさらけ出して、すべてのガンと闘ってる人にエールを送ろうとしていたらしい・・・。

 前日、腹水を2リットル抜いて、とても立てる状態じゃなかったらしいし、足もむくんで、靴がはけなかったらしい。
 でも、ほんまに 死力を尽くして踊ったんだよねぇ・・・。

 お姉ちゃんは、そんな おばさんのメッセージが、すっかり 単に家族愛にすり替えられていたことを すごく残念そうにしていました・・・。

 たぶん、おばさんが生きているうちに放映されていたら・・・使われたカットからして、違ったものが作られたのかもしれません・・・。



 おじさんは、元気にしようと頑張ってる様子でした。img20060514_1.jpg

  20年前は民宿でしたが、今はおそば屋さん。   そばも自分の畑で育てています。
広い畑が 菅平のアチコチにあって、レタスやリンゴやトウモロコシや・・・いろんなものを育ててましたが、今は そばだけを作っているみたいです。


 「トラクターを太郎の方から大松山の小屋まで移動させたいから、ブーチン ちょっくら車に乗せてくんねぇかや」  はいはい。(笑)


 トラクターはメチャメチャ遅いので、おじさんが 移動で走っている間に、友だちと初めて雪の無いゲレンデへ
img20060514_2.jpg

 リフトが動いていたら、上に登りたかったなぁ・・・ 頂上はまだ雪が見えました。

 土産物屋さん回りもしてみました(笑)   20年前、すごく新しく明るく感じた店が 意外と暗かったり・・・(笑)


at 13:39│Comments(2)TrackBack(0) 信州 菅平で居候してた 

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この記事へのコメント

1. Posted by no-ko   2006年05月15日 03:23
菅平の空、めっちゃきれいやね…  
おばさんは、この空でおじさんやご家族をみまもっていはるんやろうね。
ほんまに吸い込まれそうな色の空
2. Posted by Boochin   2006年05月15日 12:50
 そやろ? 前日まで雨やったらしいんやげとね。
 雨の次の日は、畑に入ると 土がくずれちゃうから、畑仕事はできないらしいんよ。  晴れが続いてたら、畑仕事を手伝ってもらおうと思ってたみたい(笑)

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