天然堂物語
2005年11月24日
天然堂物語 6
2004. 8. 8. いわゆるハチハチロックデーの日 都雅都雅
不惑天然堂 第2回発表会
~だんだんよくなる法華の太鼓!?~ 今、勝手につけたタイトルです(笑)
1 天然娘 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
2 旅に出よ 詞・曲:Boochin 大編曲:天然堂 リードVo.ブルースとおる
3 蜃気楼 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
4 チャンポン 詞・曲:Boochin リードVo.Boochin
5 愛しくて 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
コーラス:FunkyDropsクワイア隊
ピアノ、エレピ、ハープ:FunkyDropsバンド隊
6 生まれ変わっても 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
コーラス、タンバリン:木原千賀子
7 西へ東へ 詞・曲:Boochin 大編曲:天然堂 リードVo.Boochin
8 気楽にいこう 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
アンコール
9 はげちゃびん 詞:天然堂 曲:Boochin リードVo、トーキングモジュレーター:Boochin
メンバー紹介でFunky Drops もステージへ
セッション
ステンバイミー
ヘイジュード
オーハッピーディ
セッションで、ヘイジュードのイントロとして、の~こちゃんのピアノが軽くコードくずして弾くのに合わせて、僕もギターを入れました。
これが ブルージーで好きでした。 いつか ああいう感じの曲を作らねば・・・(笑)
この日の前夜は、 みんなで泊まる というようなことは、間違っても しませんでした(笑)

不惑天然堂 第2回発表会
~だんだんよくなる法華の太鼓!?~ 今、勝手につけたタイトルです(笑)
1 天然娘 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
2 旅に出よ 詞・曲:Boochin 大編曲:天然堂 リードVo.ブルースとおる
3 蜃気楼 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
4 チャンポン 詞・曲:Boochin リードVo.Boochin
5 愛しくて 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
コーラス:FunkyDropsクワイア隊
ピアノ、エレピ、ハープ:FunkyDropsバンド隊
6 生まれ変わっても 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
コーラス、タンバリン:木原千賀子
7 西へ東へ 詞・曲:Boochin 大編曲:天然堂 リードVo.Boochin
8 気楽にいこう 詞・曲:とおる リードVo.ブルースとおる
アンコール
9 はげちゃびん 詞:天然堂 曲:Boochin リードVo、トーキングモジュレーター:Boochin
メンバー紹介でFunky Drops もステージへ
セッション
ステンバイミー
ヘイジュード
オーハッピーディ
セッションで、ヘイジュードのイントロとして、の~こちゃんのピアノが軽くコードくずして弾くのに合わせて、僕もギターを入れました。
これが ブルージーで好きでした。 いつか ああいう感じの曲を作らねば・・・(笑)
この日の前夜は、 みんなで泊まる というようなことは、間違っても しませんでした(笑)

2005年11月23日
天然堂物語 5
2004年2月のライブが終わって、今度は2バンドだけくらいにしてもらって、少しゆったりとステージをしたいとメンバーみんなと言い合ってました。 ワンマンでやるほどの自信はなかったし(笑)
その年の春頃 その意向を都雅都雅に伝えると、「わかった。対バンを探すわ」と返事がありました。
しばらくして、都雅都雅のHPスケジュール欄に 8月8日不惑天然堂/木原千賀子with Funky Drops とアップされていました。
どんなバンドかなぁ と思っていたら、くにひこが「対バンのHPがあるよ」と教えてくれて、 しかも もうはや早速、天然堂のことを『おじさんお笑いバンド』って書いてあった とのこと(笑)
そのHPを見るとレベルの高い大人数のゴスペルバンドらしかったんで、 ちょっとビビリ、でも かなり楽しみな気がしました。
BBSに『はじめまして。今度 対バンさせてもらう天然堂です』 と入っていきました。
『お恥ずかしい話ですが、クアイヤってなんですか?』『苦は嫌、です。』とか(笑)少しやりとりして、話の成り行きからリーダーの木原さんに、『よかったら、愛しくてにコーラスつけてください』なんて書いたんですが、すぐに速達でMDを送ったら、いたく感動してくれはって、木原さん一人で おっそろしく多重録音して、『こんなんでどうですか?』って聞かせてくれはった。
とおると びっくりしました。 すんごいかっこよかった。 (後にファーストアルバムのレコーディングに参加してもらって、録音しました。)
で、それと前後して 何度か会って、8月ライブでは、お互いにゲスト出演したり、最後は合同で演ろう とかが決まっていきました。
木原さんと2回目に会った時、の~こちゃんも一緒に来ました。
Funky Dropsを支えてるピアニスト ということで、音楽的に鋭い突っ込みされたらどうしょう・・・とか、かなりビビリながら(笑) 京都駅前のタワービル1階のカフェで落ち合いました。
半年後、の~こちゃんはFunky Dropsを家庭の事情でやめ、その後 まずkutaboonoに、そして 天然堂にも参加してもらうことになるとは、その時は思いもしませんでした。
その年の春頃 その意向を都雅都雅に伝えると、「わかった。対バンを探すわ」と返事がありました。
しばらくして、都雅都雅のHPスケジュール欄に 8月8日不惑天然堂/木原千賀子with Funky Drops とアップされていました。
どんなバンドかなぁ と思っていたら、くにひこが「対バンのHPがあるよ」と教えてくれて、 しかも もうはや早速、天然堂のことを『おじさんお笑いバンド』って書いてあった とのこと(笑)
そのHPを見るとレベルの高い大人数のゴスペルバンドらしかったんで、 ちょっとビビリ、でも かなり楽しみな気がしました。
BBSに『はじめまして。今度 対バンさせてもらう天然堂です』 と入っていきました。
『お恥ずかしい話ですが、クアイヤってなんですか?』『苦は嫌、です。』とか(笑)少しやりとりして、話の成り行きからリーダーの木原さんに、『よかったら、愛しくてにコーラスつけてください』なんて書いたんですが、すぐに速達でMDを送ったら、いたく感動してくれはって、木原さん一人で おっそろしく多重録音して、『こんなんでどうですか?』って聞かせてくれはった。
とおると びっくりしました。 すんごいかっこよかった。 (後にファーストアルバムのレコーディングに参加してもらって、録音しました。)
で、それと前後して 何度か会って、8月ライブでは、お互いにゲスト出演したり、最後は合同で演ろう とかが決まっていきました。
木原さんと2回目に会った時、の~こちゃんも一緒に来ました。
Funky Dropsを支えてるピアニスト ということで、音楽的に鋭い突っ込みされたらどうしょう・・・とか、かなりビビリながら(笑) 京都駅前のタワービル1階のカフェで落ち合いました。
半年後、の~こちゃんはFunky Dropsを家庭の事情でやめ、その後 まずkutaboonoに、そして 天然堂にも参加してもらうことになるとは、その時は思いもしませんでした。
天然堂物語 4
2月のライブは、2つのトピックスがありました。
1.とおるの関係で、前夜 空いた家があるから みんなで泊まろう
2.僕が弟からステップワゴンを借りて、みんな一緒に乗っていこう
ワクワクしながら、前夜を迎えました。 前夜は最終練習の日でした。
僕は、一週間前に 弟と車をトレードし、みんなと器材が乗せれるよう広くしていました。
練習開始の30分ほど前、駐車場に行き、ドアロックを解除しようとしたら、・・・鍵が開いてる・・・
ドアを開けたが ルームライトが点いてない・・・。
ん?! なんか景色がおかしい・・・ あ゛~~ ナビが無い・・・
ハンドル横のボードにポッカリと大きな空間・・・コードなんかが虚しくピヨ~ンと飛び出してます・・・。
ああいう時、一瞬 何が起こっているのか 訳が分からなくなりますね・・・。



でも、警察に行くと たぶん練習はほとんど行く時間がなくなるだろうから、車をおいて、バイクで練習に向かい、練習後、みんなは家へ、僕は警察へ。
1分と時間をかけずに ナビだけ狙ったプロの犯行だろうと言われました。
家に夜中に着き、アコスティックギター2本を みんなで代わる代わる弾いて 「学生時代みたいやなぁ」 と
盛り上がりました。
4時前頃就寝。 朝起きると・・・いや・・・起きれません。 みんな二日酔い・・・。
気分は学生時代 でしたが、体力は 悲しい中年のオッサン でした・・・。
でも・・・ライブに行かない訳にはいかないし(苦笑) 出発。
途中 「と・とめて~」 とか 「あっ、あの薬局の前に着けて」 とか、さんざんな中、 なんとか都雅都雅に到着。
『まぁま』さん、『滋野誠』さんとの対バンでした。
天然堂デビューライブセットリスト
①ム・カ・ツ・ク
②どうしょもない
③天然娘
④生まれ変わっても
⑤愛しくて
⑥はげちゃびん ③以外はすべてファーストアルバム『不惑の発表会』に収録
終わった後、メンバーの家族に「ブーちん、初めの一言を聞いた瞬間に 『わっ、二日酔いでテンション低い!』 って思ったわ」 と笑われました・・・
1.とおるの関係で、前夜 空いた家があるから みんなで泊まろう
2.僕が弟からステップワゴンを借りて、みんな一緒に乗っていこう
ワクワクしながら、前夜を迎えました。 前夜は最終練習の日でした。
僕は、一週間前に 弟と車をトレードし、みんなと器材が乗せれるよう広くしていました。
練習開始の30分ほど前、駐車場に行き、ドアロックを解除しようとしたら、・・・鍵が開いてる・・・
ドアを開けたが ルームライトが点いてない・・・。
ん?! なんか景色がおかしい・・・ あ゛~~ ナビが無い・・・
ハンドル横のボードにポッカリと大きな空間・・・コードなんかが虚しくピヨ~ンと飛び出してます・・・。
ああいう時、一瞬 何が起こっているのか 訳が分からなくなりますね・・・。




でも、警察に行くと たぶん練習はほとんど行く時間がなくなるだろうから、車をおいて、バイクで練習に向かい、練習後、みんなは家へ、僕は警察へ。
1分と時間をかけずに ナビだけ狙ったプロの犯行だろうと言われました。
家に夜中に着き、アコスティックギター2本を みんなで代わる代わる弾いて 「学生時代みたいやなぁ」 と

4時前頃就寝。 朝起きると・・・いや・・・起きれません。 みんな二日酔い・・・。
気分は学生時代 でしたが、体力は 悲しい中年のオッサン でした・・・。
でも・・・ライブに行かない訳にはいかないし(苦笑) 出発。
途中 「と・とめて~」 とか 「あっ、あの薬局の前に着けて」 とか、さんざんな中、 なんとか都雅都雅に到着。
『まぁま』さん、『滋野誠』さんとの対バンでした。
天然堂デビューライブセットリスト
①ム・カ・ツ・ク
②どうしょもない
③天然娘
④生まれ変わっても
⑤愛しくて
⑥はげちゃびん ③以外はすべてファーストアルバム『不惑の発表会』に収録
終わった後、メンバーの家族に「ブーちん、初めの一言を聞いた瞬間に 『わっ、二日酔いでテンション低い!』 って思ったわ」 と笑われました・・・

2005年11月21日
天然堂物語 3
ベースに、くにひこを迎え、 ドラム・とおる、 ギター・こうめい と 僕 の4人で始動した。
もっともっと練習して固めたいという意向と、 ライブを決めてそれて向けて練習することで、短い時間で固めたい という思いが交錯していた。
ライブハウスはどこにするか・・・。 僕の憧れ・拾得は交通が不便。 たくたくは、交通はまあまあ便利だけど、敷居が高くて、いきなり土日の出演は無理。 ネガポジもやや不便。
RAGも交通便利やけど、アマは平日しか無理。
じゃあやっぱり、交通の便といい雰囲気といい 都雅都雅に声をかけてみようか・・・と、コンタクトをとる。
年内の出演には声がかかるかなぁ、と思ってたのに なかなか何も言ってこないから、12月頃連絡したら、「ごめん~!忘れてた~2月でどう?」と言われた・・・(笑)
それに向けて練習を始めた。
くにひこが入る前に練習していた僕の曲は なかなかうまく完成しなかったので、とおるが以前に作ってた曲・車座時代にもやってた曲を中心に進めた。
とおるの曲は、車座では 車座のイメージに合うように、とリズムを変えたりアレンジしてたので、彼にとってオリジナルな形を追求した。
メンバーみんな、過去には、いわゆるコピー曲を演ってきてた。 つまり、まずはじめに完成型があった訳。
でも、オリジナルっていうのは、なにをもって完成型にするか、っていうのがないから、みんなで「あ~しよう」「こ~しよう」と イジッている間に、改善ならいいけど、改悪されることもある。
すごく難しいことだと思った。
おまけに、人のコピーをするときは けっこう難しいことが弾けても、自分たちで作った曲に それまで培ったものがなかなか入れられない・・・ほんとうに、引き出しの少なさを嘆くというか・・・難しいことだと思った。
2004年2月 ファーストライブを 都雅都雅 でやった。
もっともっと練習して固めたいという意向と、 ライブを決めてそれて向けて練習することで、短い時間で固めたい という思いが交錯していた。
ライブハウスはどこにするか・・・。 僕の憧れ・拾得は交通が不便。 たくたくは、交通はまあまあ便利だけど、敷居が高くて、いきなり土日の出演は無理。 ネガポジもやや不便。
RAGも交通便利やけど、アマは平日しか無理。
じゃあやっぱり、交通の便といい雰囲気といい 都雅都雅に声をかけてみようか・・・と、コンタクトをとる。
年内の出演には声がかかるかなぁ、と思ってたのに なかなか何も言ってこないから、12月頃連絡したら、「ごめん~!忘れてた~2月でどう?」と言われた・・・(笑)
それに向けて練習を始めた。
くにひこが入る前に練習していた僕の曲は なかなかうまく完成しなかったので、とおるが以前に作ってた曲・車座時代にもやってた曲を中心に進めた。
とおるの曲は、車座では 車座のイメージに合うように、とリズムを変えたりアレンジしてたので、彼にとってオリジナルな形を追求した。
メンバーみんな、過去には、いわゆるコピー曲を演ってきてた。 つまり、まずはじめに完成型があった訳。
でも、オリジナルっていうのは、なにをもって完成型にするか、っていうのがないから、みんなで「あ~しよう」「こ~しよう」と イジッている間に、改善ならいいけど、改悪されることもある。
すごく難しいことだと思った。
おまけに、人のコピーをするときは けっこう難しいことが弾けても、自分たちで作った曲に それまで培ったものがなかなか入れられない・・・ほんとうに、引き出しの少なさを嘆くというか・・・難しいことだと思った。
2004年2月 ファーストライブを 都雅都雅 でやった。
2005年11月20日
天然堂物語 2
ギターとドラムがいる訳なんで、ベースを見つければスリーピースバンドができるってことで、まずはとにかくベースを探し出した。
ほんとは、くにひこにやってほしかったけど、「今は仕事が忙しいから無理」と断られてしまったから・・・。
一人目の候補者・・・2回くらい とおるの家で飲みつついろんな話をして盛り上がった。
でも、仕事の都合で 結局だめだった。
二人目、三人目も 都合があわなかった。
この頃、職場で知り合った こうめいは、ギターが弾けるということだったので、「一回、ベースしてみてくれへん?」と頼むと 「いいよ」 と引き受けてくれて、練習を始めてみた。
車座解散から1年以上が経過していた。
やっぱり スタジオで大きな音を出して バンドができる、というのは楽しかった!
(そして、その練習録音を くにひこに送っていました。)
当時作っていた曲は、 4ビート「癒しの天然堂」、 演歌「病気のオッサンの唄」、 レゲエ「Lovely woman」、 ロック、 ブルース「アドリブ曲」とバラエティにとんでたから、くにひこもおもしろがってくれてて、とうとう「もうちょっとしたら仕事が少しひまになるから、そしたらしばらくの間 やってもいいよ」 って言い出してくれたんよね。
数ヶ月くらいならできる・・・が丸2年になっている(笑)
こうめいは、本職のギターになった。 彼は言った、「ベースが変わると こうもバンドって変わるんですなぁ・・・」 (笑)
ほんとは、くにひこにやってほしかったけど、「今は仕事が忙しいから無理」と断られてしまったから・・・。
一人目の候補者・・・2回くらい とおるの家で飲みつついろんな話をして盛り上がった。
でも、仕事の都合で 結局だめだった。
二人目、三人目も 都合があわなかった。
この頃、職場で知り合った こうめいは、ギターが弾けるということだったので、「一回、ベースしてみてくれへん?」と頼むと 「いいよ」 と引き受けてくれて、練習を始めてみた。
車座解散から1年以上が経過していた。
やっぱり スタジオで大きな音を出して バンドができる、というのは楽しかった!
(そして、その練習録音を くにひこに送っていました。)
当時作っていた曲は、 4ビート「癒しの天然堂」、 演歌「病気のオッサンの唄」、 レゲエ「Lovely woman」、 ロック、 ブルース「アドリブ曲」とバラエティにとんでたから、くにひこもおもしろがってくれてて、とうとう「もうちょっとしたら仕事が少しひまになるから、そしたらしばらくの間 やってもいいよ」 って言い出してくれたんよね。
数ヶ月くらいならできる・・・が丸2年になっている(笑)
こうめいは、本職のギターになった。 彼は言った、「ベースが変わると こうもバンドって変わるんですなぁ・・・」 (笑)